棒武会 会主 宇津崎智彦  

福岡県北九州市出身 1984年生まれ

スポーツから武の道へ

幼少の頃はサッカーが大好きで、将来プロサッカー選手になることが夢だったのですが、高校生の時、試合中に腰を怪我してしまい、腰の痛みで体を思うように動かすことが出来なくなりました。そんな心身共に辛い時に、精神を磨く内容が書かれた武道の本に出会い、気づけばすっかり武道のとりこになり、合気道、空手道、古武道などを習い15年以上の月日がたっていました。しかし、教えてもらった基本の型を何年やっても思うように動くことができず、自分には能力がない…と絶望し、諦めかけていた時期がありました。

超人的動きの師との出会い

そんなある日、沖縄にいる武道の先輩から今まで見たことも聞いたこともない、超人的な動きをするまさに本物の忍者のような武人が沖縄にいるということを聞き、早速沖縄に向かいました。

2015年の12月、先生(78歳)に初めてお会いした後、棒を渡され「私に向かって全力で打ち込んできなさい」と言われ、力いっぱい打ち込んでいくと、先生は打ち込んだ場所から、ぱっ…と消えていなくなり、次の瞬間、ゆっくりと私の胸にめがけて棒を突き出してきました。すると、棒が当たっているわけでもないのに、棒の先端から目では見えない物凄い圧力で私の身体の動きを封じ込め、その状態のまま後方に飛ばさてしまいました。今まで怖さで後ろに退くことのなかった私ですが、初めて目では見えない武人の圧力(氣)という存在を肌で実感しました。そして、私はこんな凄い武人から絶対に学びたいと思い、すぐに先生の下に入門。

師匠とのマンツーマン稽古

それから毎月、福岡から2泊3日で沖縄に通い、家に帰ってからは仕事のかたわら毎朝毎晩稽古を積みました。先生とのマンツーマンの稽古は基本である5本の回転棒(五手)をするだけで、技術的なことや身体操作的な指導は一切なく、ただ一言、あんた動きが遅すぎるよ、隙だらけだな…稽古してないのか…と、とにかくそれだけを4年間ずっと言われ続けてきました。あの時は寝ても覚めても先生との稽古のことを考え、試行錯誤し、妻からは寝ている時も手足が大きく動いて稽古していると笑われながら言われるほどでした。

5年の稽古を経たある日。そして、後世に伝える使命感

それから稽古を始めて5年がたったある日、基本である5本の回転棒(五手)の遠心力が体の内に入りこみ、身体のコツ(骨)が動きはじめ、スピードや威力が今までとは違い、筋力や瞬発力ではだせない力をだせるようになっていきました。そして、なんといっても1番おどろいたのは立ち姿が格段に良くなり、さらには疲れにくくエネルギッシュな身体にも変化していったことです。

今まで何をやっても大きな変化を感じることのなかった私ですが、この回転棒術の凄さを実感したことがきっかけで、この何百年と受け継がれてきた技術を絶やさず後世にも伝えたいと強く思うようになり、2023年に棒武会と名付け立ち上げました。